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50歳になった今でも、涙腺が緩みます。当時、19歳でした。テレビ中継を見ながら、何度もガッツポーズをしましたね🎵🤗。
本当に偉業ですよね、日本車初の優勝しかもレシプロではなくロータリーエンジンでの優勝。意外と知られていないですがカーボンブレーキ採用での初優勝もこの787Bが初の事、誰かが言ってたと思うが三河の大企業の自動車メーカーよりも27年も前にル・マン制覇は誰が何と言おうが偉業だと思う。
高橋国光さんが自分の事の様に喜んでいるのが印象深いです
モータースポーツ、オリンピック、スポーツにもいろいろありますが、マツダが優勝した時ほど、うれしく、日本人として誇りに思ったことはない。
正に、その通りです✨
t nodera ロータリーエンジン最後のシーズンで勝つなんて。。本当に感動しましたね。鮮明に覚えています。
same !
@Ciera Thobbs nigga bout to get scammed
トヨタはポルシェが撤退し、実質的に競争相手がいない状況での優勝だった。マツダは多数の強豪を退けての優勝だから、トヨタより価値がある。
この4ローターの甲高い音はほんとに美しい。こんなに速くて綺麗な音のエンジンを作れる日本の技術は誇らしい
ル・マンで優勝することがどれだけすごい事か。日本のお役人さんは認識し、日本の技術者に敬意を払うべきです。
『MAZDA優勝というよりもル・マンが大したことないんや』と思っていました😂今となってはすげー恥ずかしい
津々見さんが喋ると泣きそうだと言ってます、日本の自動車史に燦然と輝く名車です。
マツダの優勝を思い出して涙し、また、国さんとのお別れで涙しています。国さん、本当にありがとうございました。ゆっくりとお休みください。決して忘れません。ありがとうございました。
おじさんが、この787bも、制作したひとりでした。MAZDAスピードの、役員でした。ボディー制作者です。
いい話聞けたでしょう( ̄▽ ̄)
すごい!ルマン史上1番カッコいいマシンだと今も思ってる!
1989年~1991年までマツダの宇品工場最終組み立てラインで期間工員してました。優勝時は社員食堂で鯛の尾頭付きが出ました。生まれて初めて餡子入りで無く本物の鯛の尾頭付きを食べました。
この車、国宝で良いと思います!
Yeah sure and my uncle worked for Nintendo lmfao
このMAZDA 787Bは国宝にすべきだよ。
これは間違いなく国宝ですね
もぉ既に日本自動車業界の国宝でしょ‼️
良かったですね、遺産車に787Bが選ばれましたね。
俺涙流して見てた。何年もかけて参戦し続けて最後に手にしたものが優勝なんて…なんて素晴らしいんだ。おめでとうございます!
私、正座した観てました
787bは日本の誇りだよ
本当に出先で見る物ではない。琢磨のインディと787Bの優勝は勝手に涙が出てくる。日本人で車好きで本当に良かった。
今の日本には、こういう感動が必要だよね
いやあ、懐かしい! 皆んな元気だった!僕も当時20代でFC3S乗ってました。マツダ乗りとして、日本人として、本当に嬉しかったね
フランスの実況アナウンサーがチェカー受ける前のコーナーで『MAZDAが泣いています!私も泣いています!』って、MAZDAサウンドをゴールで迎えたのは感動的だった。
ゲストの高橋国光さんが、「もう私は冷静でいられません!立ちます!」と興奮していたのが昨日の様に思い出されます。この偉業は、後にセミドキュメントドラマでテレビ放映されましたね。
観たかった😂聴きたかった😂‼️
ガチの戦いで優勝!このシーンだけでも泣けてくる。
それにひきかえ、ローカルのダート馬ばっかりの中にディープインパクトが乱入して当然のように勝った感の強いのがトヨタのルマン優勝。
@@jpntechnostream505 同感。
JPN technostream 99年も16年もあと一歩だったんだ、、、正々堂々と戦ってたらライバルがいなくなっただけなんだ、、、
@@yurio2061 94年もだよね!Cカーは空力性能を抑えられ、燃料タンクは80リットル。ポルシェは962のCカーをGT1登録で120タンク。世界中がトヨタはバカを見たと同情したよね。
@@jpntechnostream505 そこは商魂トヨタ。売名行為はお手の物。
マツダ大橋が1周、1秒ペースをあげる皆が無謀だ、、、松浦が言った【俺達が作ったローターリーエンジンは、壊れない】感動だね
かっこよすぎる😂
4ローターの雄叫びが誇らしいです。女性的でもあり、男性的でもある排気音は、このR26Bくらいかと。車はパワーだけではないと思わせる特別な存在です。
ジャガー、メルセデス、ポルシェをおさえて優勝🏆️素晴らしい😭
NISSANもね
トヨタはザコを抑えて完走!
2018年のトヨタの優勝とは価値が違う。
ロータリー最後の年だからと100kg以上ライバルより軽くしてもらったマツダの優勝がトヨタのそれよりも価値がある、ねえ…
@@ケツニイバラロビー活動も含めレースです
この映像と琢磨のインディ優勝のときの映像は永久保存です
残るはF1モナコGP。
琢磨、またインディ勝ちましたね!
ハァァァァツセェハァァァァアアア↑↑↑↑↑
親の話。後から語られる形でテレビで見た事。過去の栄光をまとめた本。それで得られる情報しか無かったけど当時の映像見て改めて凄さがわかった。国産車が初めて制した瞬間ってこんな感じだったんだって知ることができたのは良かったと
かなりのハイペースで走り続けた787Bのエンジンはもたないんじゃないかと言われていたがエンジン担当者は「我々のエンジンは壊れることはない」と語ったというのはよく聞いた話
実際、ハイペースでメルセデスにエンジン耐久勝負かけて、メルセデスのエンジンぶっ壊したし、レース終わっても、あと500km走れる状態だったと言われてるのが凄いですよね。
アドバイザーとして参加していたジャッキー・イクスにマツダが、優勝に貢献したとしてボーナスを申し出た。ところがイクスは「私はマツダを優勝させるために契約したのだから、優勝したからといってボーナスを貰う理由は無い。」と固辞。 かっこいいw
イケメンやね。
優勝して当たり前やと?カッコよすぎるわ
実際イクスの戦略によって優勝したといっても過言じゃないのです。序盤に1、3,4位を走行していたメルセデスチームが耐久性に問題を抱えていると分析。さらに彼らの気質からマツダがペースアップしたら絶対に彼らもペースアップするとイクスは判断。周囲の反対もあったが、この作戦を押し切った。結果、メルセデスは立て続けにトラブル発生。最終的に1号車もマシントラブルでリタイア。残るジャガーも燃費で苦しみペースアップができないままマツダの勝利となった。追いつくためでなく、相手のトラブルを誘発するためのペースアップとか勝負師だよね。後日メルセデスチームは「我々は振動でロータリーエンジンに負けた」とコメント。
そんなこと言われた日にゃ男でもぬれるわ!(≧□≦)ノ♡♡
この年の10月に発売されたFD3Sのカタログはイクスのコメントがたっぷり掲載されてましたよ。
プロジェクトX見てからこれ見ると、余計に感動しますね。
技術、意欲、魂、日本一のメーカーです。
自分がこの世に生まれる前にこんな出来事があったなんて...日本に生まれたことを誇りに思います。
この優勝はつい昨日のことのように鮮明に覚えています。あれから30年の間にマツダの浮沈があり、現在企業体力は回復したものの、REはラインナップになく、商用車や軽はOEMでしのぐなど、マニア目線では少々寂しいですね。ささやかな応援の意味を込めて先代デミオに乗ってます。
この動画を見てる間鳥肌が止まりませんでした、この時代に生まれてリアルタイムで観たかったなぁ、誇りに思います
マツダの工場見学行ったときに展示スペースに787Bの実車が置いてあった。ヘッドライトが薄汚れてて謎の興奮を覚えた記憶がある...。
当時はファミリアやカペラが主力、RX-7だって比較的身近なスポーツカー、そんな庶民的なメーカーのマツダがメルセデスやジャガーといった超高級車ブランドに勝ったってのも胸熱だった。
後日、ジャガーが、マツダの快挙を祝福する新聞記事を載せていたのを覚えています。スポーツマンシップに国境無し!。
@@高橋正哉-t6tそれに対してトヨタファン界隈は、フェラーリの不正だろうー、欧米の日本叩きだーばかりのコメントで恥ずかしいですわ。まぁトヨタ界隈の人たちにジャガーのような紳士な人格などあるはずもなく…申し訳ないがこんなファン達がいるメーカーなんて応援したくないし、こんな人間にはなりたくないものですね😅
懐かしいところを観させていただきました。僕は31年前に新婚旅行でルマンに行きました。(RX-7は買えないけどせめてルマンに行こう!!って)ロータリーエンジンはルマンを走る車の中でも、一番大きくて一番いい音がする真にサウンドです。徐々に順位を上げていってゴールまでラスト2時間くらいはMAZDAピットの上から見ていました。ピットの上からMAZDAクルーにシャンパンを振りかけたのは僕たちです。
これリアルタイムで見てたんだよな〜。今見ても感動します。
感動しましたねえ・・・。未だに泣けるなあ。
いつ聞いても787Bのエンジンサウンド最高
ヘリさんここにもwwwやっぱ787B最高ですね〜
@@badhead8875 見つかった!w
並居る強豪相手に堂々たる初優勝、ロータリー最後の年に。その後のマツダに待ち受ける苦難と再興。すべてがドラマチック。そして今、内燃機関に斜陽が…いつの時代もがんばれマツダ!
これこそ、映画でもドラマでも出来るのにね〜。日本初優勝でロータリーエンジン、しかも強豪ひしめく中での総合優勝は感動でしかない。当時、シルクカットジャガー、ザウバーメルセデス、トヨタ、日産、ポルシェ、などを抑えての優勝だもんね〜。
MAZDA 787B ル・マン優勝から、はや33年経ちましたかー!あの時のテレビ録画映像は今でも我が家に有ります。優勝の瞬間大泣きした思い出と共に・・・再生機は調子悪いけど、再び観る為に修理しようかと思ってます。チャージ(今は無きレナウンの)MAZDAのカラーリングも綺麗で素敵でした。後世に残すべき、偉業中の偉業でしたね!
観たい‼️😂❤
この時代に生まれた訳ではないけど、目頭が熱くなるね。
マツダロータリーの凄さを世界に広めた瞬間
この時FCに乗ってた事が誇らしく思った。
是非は動く国宝にして欲しい。
異議なしです。
コレはリアルタイムで観てました📺👀✨
現役を後継車に譲って退いてもう何十年と経つのに、そのけたたましくも気品ある"絶叫"で未だに世界中で愛される名車だよ、787B
今見ても感動して泣ける
某テレビ番組での内容だけど、途中2位走行中の時、2位で大満足というチーム内の雰囲気の中、ただ一人監督だけはペースを上げて、その当時首位だったメルセデスへプレッシャーをかける作戦に出たんだよね。このマシンのお陰で私は緑色とオレンジ色が好きになりましたw
NHKプロジェクトX マツダ、ルマン制覇の漫画版でもそのようなシーンがありまして、それで初めて知りました。(メルセデスへのプレッシャー)
監督じゃなくてアドバイザーのジャッキー・イクスの指示だったはず。
すばらしいのは、このマシンが今も動く状態で保管されていて、ときどきイベントで走ってくれること。マツダの信念のようなものを感じます。やはり、走ってこその車。形だけが残っていても意味はないのでしょうね。
チャージマツダとマツダスピードが編隊組んで走ってる所カッコいい
91年当時、小6だったオレは、朝起きてド派手なマツダのスポーツカーがレースで優勝した事をテレビでやっていたのを今でも覚えている。その頃家のファミリーカーは、HBコスモの四枚ドアで、ライトがパカパカするのが子供ながらに好きでした。そう、その車もマツダだったのです!オレんちの車もマツダだよね!優勝したのもマツダだよね!って、親父にしつこく聞きました。自分んちの車のメーカーがレースで優勝した事に、小6のオレは、『マツダってすげーんだな』って思った事をこの動画を見て思い出しました。
1991年のルマンはマツダが勝った。もう歴史から消えない事実。実は放送の最後に大橋監督が表彰式後にACOの人たちと抱擁している映像が流れてたんですよ。大橋監督はルマンに溶け込み、受け入れられるまで頑張っていたんだなと。もう大橋さんがいない以上、寺さんにやってもらうしかないな。早く復帰しないと、忘れられる。
自分の車遍歴社会人になって初めてローンで買った車、マツダオートザムAZ-3の5速MT。次に買った車、マツダデミオ二代目前期型の5速MT。そして現在乗っている車、マツダRX-8前期型タイプS。タイプSはもうちょいで走行距離30万キロ届きそう。まだまだ乗るよ!
この時なんて生まれてすらいなかったけど、後から聞いても凄さが伝わってくる
今日見ました。感動😭しました✨✨途中の、万歳三唱で涙が溢れました。あれから30年。お疲れ様でした。787Bよ永遠なれ‼️マツダを好きで良かった🍀
リアルタイムで観ていたけれど本当に嬉しかった。
割りと本気でこの車国宝でいいと思うんだけど
この中継をテレビで見ていました。ゴールの数時間前からトップでしたね。チェッカーフラッグが振られたときは嬉しくて泣いたのを覚えています。この年でロータリーエンジンが禁止になったんですよね。
ロータリーエンジンとしてエントリー可能な最後の年にマツダはロータリーで勝負できる最後の年だとして総力戦を挑んだ ゴールシーンも良かったけれど午後1時のベンツがマツダのタイムアップ作戦に引っかかってリタイアして3時間の梯団走行文字通りの圧勝だった
これは覚えてるな〜。自然と涙が出たな〜。確か、この年を最後に、ロータリーエンジンの追放がレギュレーション改定で決まってて、この年が最後のチャンスだったんだよな。優勝記念の実車の凱旋展示を見に、横浜高島屋まで行ったわ。凄い混雑だった。
実は「ジョニー・ハーバード」脱水症状で医務室へ直行で表彰台に立てなかった‼️しかし、2011年優勝して20年の記念にマツダ787Bでパレードラップハーバードもおじさんになり少々丸くなってましたが「ようやくく表彰台に立ててうれしいよ」‼️マツダも787Bをサーキットを走れるように完璧なレストアしたと❗
その時、脱水症状のふりして笑いを誘ったジョニー
パレードラップの為にメカニックから操作を教えてもらう時に「マイカーだよ!」って断ったとか。
震災直後のル・マンでの787Bのパレードランに、どれだけの希望と元気を貰ったことか…。
さらには自身もレストアならぬ減量して当時実際に着ていたレーシングスーツであの場を迎えていた。
@@imprezastigdb555 ル・マン主催者も粋な計らいするよな。ニュースになった時は丁度20周年の節目と東日本大震災の哀悼も兼ねてるかと思ってた。
当時、日本は空前のF-1ブームの真っ只中でしたが、このルマンだけは格別でした。長年地道にロータリーでやってきたマツダが勝った、というのがまたよかった。
これ映画化しないの、、、???映画館でロータリーサウンド爆音上映してほしい。
気持ち良すぎてイク
イクなイクなw
たしかやっぱテレ朝でドキュメントみたいな特番してた記憶が
最後の最後でペース上げてメルセデスのエンジンぶっ壊したシーンも派手に演出希望ww
マツダはモータースポーツに本格的に復帰して欲しいな
伝説の787Bだね
当時、19歳。涙腺が緩みウルウルしていたのを、覚えています。ガッツポーズを何回したか。
コメント書いてる人達の記憶力が凄い。っていうかそのくらい衝撃的だったのか。詳しくない俺でもレナウンの経営破綻のニュース見た時に思い出したのがこの車。
後ろで絶叫しているのはラジオ「文化放送 こちらル・マン放送局」の扇一平アナですね。ゲストが「不躾棒」の三本和彦さんや初代AS編集長の星島浩さん。TVがない時間、ずっと耳をそばだてていました。現地時間の夜中にグイグイと順位を上げて行くの、ホント興奮したなあ・・・こちらの音源、ないかなあ・・・現地朝・日本時間夕方の放送のド頭、787BがメルセデスC11をブチ抜くシーンも、他のレースでは絶対見れない絵で驚愕しました。
やっぱりね、最初に出て行ったマツダが勝ててよかったと当時は思いました。それと同時にルマンで勝ってはいけないと思っていたものが(優勝には決して届かない)現実になってしまった。テレ朝の放送を見ていて、心境は複雑でした。91年のルマン優勝は、マツダロータリーにとって最高の神様からのご褒美でした。
@miles さん。うまくは言えないですけど当時、国内レースでも表彰台に届かない状態でした。それでもルマンだけは一日の長があり、結果を残してきました。91年の優勝は、マツダはまだ優勝するだけのレベルに達してないのではないか。そう感じてましたが、あれから30年近く経って優勝できてよかったと思ってます。
最初に出ていた=厳密にはサード(シグマ、73年)より前にヨーロッパのマツダディーラーのチームが参戦してましたけどね。(70年、シャシーはシェブロン)
maruhiroya417 さんわたしはマツダの機関紙ポールポジションが家にありましたので、その件は存じております。今年もルマンがありますが、マツダのいないルマンはつまらないです。どんなことをしても完走する、どぶくさいマツダがまたみたいです。
日本が誇る栄光のマシン✨例えミニカーでも圧倒的なオーラを放つ(´;ω;`)
昔、甥っ子にそのミニカー買ってやりました。当然分かるわけがないので何の車かは説明しませんでしたが。
ミニカーやプラモデルはすぐ完売するほど人気があります。
まぁ…僕は小学生の時なんの車か知らなかったけど…グランツーリスモ4でサウンド聞いてよく乗り回してた首都高コース6で…。かっこよかった…。
ゼッケン☀️#55番💚🧡栄光の☺️ル・マン❗️🇯🇵
子供の頃の夢が今叶えまくられてるルマン、インディー日本人が勝つことを想像出来なかったこの年まで生きて良かった
感動した!あと、国さん若い!
この時の優勝は価値があった。リザルト見ればわかる。こんなにすごいライバルを打ち破っての優勝なんて、それ以後の日本車ルマン24制覇にはない。
特にトヨタ(笑)とかいうメーカーは恥でしかない正真正銘のクソワークス
まあトヨタだからね
アウディとポルシェに勝って欲しかったよなぁ
負けまくって負けようがなくなったら勝ち始めた運なしトヨタ
TS020の右京さん、利男さん、ドリキンの時には戴冠してあげたかったですね。95年のNSXGT2クラス優勝もすごかったですが。
RENOWNと聞いてすぐ思い浮かぶのが787B、まさか倒産してしまうとは…本当に残念だ
無知ですみません!倒産してしまったんですか?!?!?
@@発酵オジサン さん20024 年 レナウン ブランド復活らしいです。
今見ても感動で涙涙です
世界一のMAZDAのロータリーまた…復活して欲しい
これをずっと見たかった
あの4ローター自然吸気エンジンの独特な美しく甲高く悲鳴のようなサウンドを聴いて感動を覚えない奴なんていないだろう☝ どのレシプロエンジンとも違う素晴らしい響きだったよ😌
マツダのこと見直した正直トヨタやホンダの後手に回ると思ってたけど、世界のMAZDAだったなんて20歳の自分は全く知りませんでした広島のそして日本の誇りですね
俺は髙橋国光さん現役の勇姿も見てました!マン島の功績、その後の日本での四輪レースの創設からの活き地曳です。彼を語らずして日本のモータースポーツは語る事はできません。
ライバルがいると勝てないトヨタ今年も格言通りでした。日本勢で真の国際レースを制したのはマツダのルマン、ホンダのF1、佐藤琢磨のインディ500だけ。
2020になっても唯一ル・マンでライバルと競って買った栄光の優勝。後にも先のも日本のメーカーがル・マンで勝てたのはこの時だけ
マツダには良い技術屋が居ますね❣️広島の一企業がこれだけのポテンシャルを見せてくれたのは嬉しい‼️
マツダのロータリーが世界の頂点に立った瞬間ですね。ロータリーエンジンでの最後の参加年に総合優勝した回でしたね。ゴール目指してトップを疾走する787Bの勇姿は何度見ても感激です。
情報が少なかったこの時代、日本のモータースポーツ関係者でもマツダの優勝なんて考えてなかった。でもF1ドライバーのハーバートとガショー、アドバイザーにジャッキーイクスなんて本気で優勝を狙うつもりでないと揃えられないメンツだ。
ジョニーハーバートほんとに表彰台におらんな。レース後に脱水症状でムリ😵ってなって運ばれたらしい。んで20年後の2011年に開催されたル・マンのオープニングセレモニーで1周走らせて、当時上がれなかった表彰台に笑顔で飛び乗るという20年越しの夢を叶えられました。東日本大震災のあった2011年に787Bをフランスに持ち込んで走らせるのは大変だったという話はウェブを参照
映画の 題材に なる レース(笑) 787の サウンドは 今でも 痺れる‼️トヨタ 日産でなく 原爆落とされた街の マツダが 優勝は 感動しました。
本当に偉大な功績本当に素晴らしい出来事しかし、唯一惜しむべきはこれが生まれる前の出来事だということ
過去に戻って見てみたいシーントップ3に入る
そ れ な当時の俺ー12歳
やっぱりいつ見てもチャージマツダ787Bはスゴい!
当時テレ朝でやってたから毎年見てたなー😂 後にラジコンで知り合ったテレ朝の技術の人が行ってたって聞いた
泣けるしかも国さん泣ける
何回観ても泣ける
ウイニングランで55号車乗ってたジョニー・ハーバートは頑張りすぎて脱水症状で表彰台よりも先に医務室へランしちゃったから表彰台に立ったのは二人だけ。で、ル・マン24時間レースの記念すべき年に787Bでデモ走行したときに当時立てなかった表彰台に立ったあとは担架で搬送されるというネタを披露するサービスっぷり。しかも787Bのエンジンをオーバーホールしてデモ走行に間に合わせるのを決めたのは東日本大震災の数ヶ月前で、少しでも遅れたら55号車はこの世に無かったかも。
マツダスピードが築地から板橋の浮間舟渡に移転した頃、FCとランティスをそこによく持ち込んでいた。ある日、見積もりかなんかで受け付けスペースで少し待たされていたときにふと背後を振り返るとそこには787Bが無造作に置かれていた。埃を薄っすらと被っていた。少し悲しくなった。興奮しながら近寄ってあちこち良く見たのに、興奮し過ぎたせいかそれが55号車だったかの記憶がない。
市販車は燃費悪い代名詞みたいなロータリーだけどこの時はどの車よりも燃費が良く給油回数が減らせた事も優勝に貢献した一因でしたロータリーは理論上レシプロより低燃費なエンジンなのですが極限状態のシチュエーションでは図らずもそれを証明しました。
日本でも81年の鈴鹿1000kmで似た状況になりあわや大金星になりかけました。(結果は2位、優勝したポルシェ935の方が燃費が悪かった)
この時、ジョニーハーバートは脱水症状で本当にやばい状態だったんですよね。それで、表彰式には参加できずにル・マンを終えてしまった...でも、2011年に再びジョニーハーバートが787Bをドライブしたっていうのがとても感動的。
F3000で怪我してなければ・・・、アレがその後のキャリアに影響していたかもしれないですね。
787Bも素晴らしいクルマでしたが、ジョニーがホントに頑張って走り抜いてくれました😊彼のこの時のレーシングドライバーとしての立場はやるしかない状況だったのでしょう😊そしてロータリーラストイヤーとなったマツダにとっても同じでしょう😊全てのタイミングがうまく噛み合った感動の優勝でしたね😊
当方その頃三菱自動車の営業マンでした。ドイツ車イギリス車イタリア車が世界を席巻してたのに787b、最高です。当時所詮マツダなんて思ってたらマツダさんに頭が上がらないくらいの快挙。同じ日本人として泣きそうになりましたマツダ最高
2020年5月17日今日改めて見て、前面のスポンサーロゴが「レナウン」となっていることに改めて感慨深い思いです。
1990年まではチャージのロゴでしたもんね。レナウンのロゴで出走した唯一の年に総合優勝とはレナウン倒産の話を聞くと奇跡的ですね。
Mazda 787b The Legend Of Mazda and best of best in lemans History 💪💪💙🤍💜I'm really loved 787b and MazdaSpeed
今観ても当時の感動が甦ってきて、涙と鼻水でグシャグシャになってしまった😭ありがとう🙏
もう30年近くも前なのか…年が経つのは早いね😂あの頃より確かに文明は進んだけど、豊かさや充実さでは負けてるかも知れぬ。
50歳になった今でも、涙腺が緩みます。当時、19歳でした。
テレビ中継を見ながら、何度もガッツポーズをしましたね🎵🤗。
本当に偉業ですよね、日本車初の優勝しかもレシプロではなくロータリーエンジンでの優勝。
意外と知られていないですがカーボンブレーキ採用での初優勝もこの787Bが初の事、誰かが言ってたと思うが三河の大企業の自動車メーカーよりも27年も前にル・マン制覇は誰が何と言おうが偉業だと思う。
高橋国光さんが自分の事の様に喜んでいるのが印象深いです
モータースポーツ、オリンピック、スポーツにもいろいろありますが、マツダが優勝した時ほど、うれしく、日本人として誇りに思ったことはない。
正に、その通りです✨
t nodera ロータリーエンジン最後のシーズンで勝つなんて。。本当に感動しましたね。鮮明に覚えています。
same !
@Ciera Thobbs nigga bout to get scammed
トヨタはポルシェが撤退し、実質的に競争相手がいない状況での優勝だった。マツダは多数の強豪を退けての優勝だから、トヨタより価値がある。
この4ローターの甲高い音はほんとに美しい。こんなに速くて綺麗な音のエンジンを作れる日本の技術は誇らしい
ル・マンで優勝することがどれだけすごい事か。日本のお役人さんは認識し、日本の技術者に敬意を払うべきです。
『MAZDA優勝というよりもル・マンが大したことないんや』と思っていました😂今となってはすげー恥ずかしい
津々見さんが喋ると泣きそうだと言ってます、日本の自動車史に燦然と輝く名車です。
マツダの優勝を思い出して涙し、また、国さんとのお別れで涙しています。
国さん、本当にありがとうございました。ゆっくりとお休みください。決して忘れません。ありがとうございました。
おじさんが、この787bも、制作したひとりでした。MAZDAスピードの、役員でした。ボディー制作者です。
いい話聞けたでしょう( ̄▽ ̄)
すごい!
ルマン史上1番カッコいいマシンだと今も思ってる!
1989年~1991年までマツダの宇品工場最終組み立てラインで期間工員してました。
優勝時は社員食堂で鯛の尾頭付きが出ました。生まれて初めて餡子入りで無く本物の鯛の尾頭付きを食べました。
この車、国宝で良いと思います!
Yeah sure and my uncle worked for Nintendo lmfao
このMAZDA 787Bは国宝にすべきだよ。
これは間違いなく国宝ですね
もぉ既に日本自動車業界の国宝でしょ‼️
良かったですね、遺産車に787Bが選ばれましたね。
俺涙流して見てた。
何年もかけて参戦し続けて最後に手にしたものが優勝なんて…なんて素晴らしいんだ。
おめでとうございます!
私、正座した観てました
787bは日本の誇りだよ
本当に出先で見る物ではない。
琢磨のインディと787Bの優勝は勝手に涙が出てくる。
日本人で車好きで本当に良かった。
今の日本には、こういう感動が必要だよね
いやあ、懐かしい! 皆んな元気だった!
僕も当時20代でFC3S乗ってました。マツダ乗りとして、日本人として、本当に嬉しかったね
フランスの実況アナウンサーがチェカー受ける前のコーナーで『MAZDAが泣いています!私も泣いています!』
って、MAZDAサウンドをゴールで迎えたのは感動的だった。
ゲストの高橋国光さんが、「もう私は冷静でいられません!立ちます!」と興奮していたのが昨日の様に思い出されます。
この偉業は、後にセミドキュメントドラマでテレビ放映されましたね。
観たかった😂聴きたかった😂‼️
ガチの戦いで優勝!このシーンだけでも泣けてくる。
それにひきかえ、
ローカルのダート馬ばっかりの中にディープインパクトが乱入して当然のように勝った感の強いのがトヨタのルマン優勝。
@@jpntechnostream505 同感。
JPN technostream 99年も16年もあと一歩だったんだ、、、正々堂々と戦ってたらライバルがいなくなっただけなんだ、、、
@@yurio2061 94年もだよね!Cカーは空力性能を抑えられ、燃料タンクは80リットル。ポルシェは962のCカーをGT1登録で120タンク。世界中がトヨタはバカを見たと同情したよね。
@@jpntechnostream505
そこは商魂トヨタ。売名行為はお手の物。
マツダ
大橋が1周、1秒ペースをあげる
皆が無謀だ、、、
松浦が言った
【俺達が作ったローターリーエンジンは、壊れない】
感動だね
かっこよすぎる😂
4ローターの雄叫びが誇らしいです。
女性的でもあり、男性的でもある排気音は、このR26Bくらいかと。
車はパワーだけではないと思わせる特別な存在です。
ジャガー、メルセデス、ポルシェをおさえて優勝🏆️
素晴らしい😭
NISSANもね
トヨタはザコを抑えて完走!
2018年のトヨタの優勝とは価値が違う。
ロータリー最後の年だからと100kg以上ライバルより軽くしてもらったマツダの優勝がトヨタのそれよりも価値がある、ねえ…
@@ケツニイバラロビー活動も含めレースです
この映像と琢磨のインディ優勝のときの映像は永久保存です
残るはF1モナコGP。
琢磨、またインディ勝ちましたね!
ハァァァァツセェハァァァァアアア↑↑↑↑↑
親の話。後から語られる形でテレビで見た事。過去の栄光をまとめた本。それで得られる情報しか無かったけど当時の映像見て改めて凄さがわかった。国産車が初めて制した瞬間ってこんな感じだったんだって知ることができたのは良かったと
かなりのハイペースで走り続けた787Bのエンジンはもたないんじゃないかと言われていたがエンジン担当者は「我々のエンジンは壊れることはない」と語ったというのはよく聞いた話
実際、ハイペースでメルセデスにエンジン耐久勝負かけて、メルセデスのエンジンぶっ壊したし、レース終わっても、あと500km走れる状態だったと言われてるのが凄いですよね。
アドバイザーとして参加していたジャッキー・イクスにマツダが、優勝に貢献したとしてボーナスを申し出た。ところがイクスは「私はマツダを優勝させるために契約したのだから、優勝したからといってボーナスを貰う理由は無い。」と固辞。 かっこいいw
イケメンやね。
優勝して当たり前やと?
カッコよすぎるわ
実際イクスの戦略によって優勝したといっても過言じゃないのです。
序盤に1、3,4位を走行していたメルセデスチームが耐久性に問題を抱えていると分析。さらに彼らの気質からマツダがペースアップしたら絶対に彼らもペースアップするとイクスは判断。周囲の反対もあったが、この作戦を押し切った。
結果、メルセデスは立て続けにトラブル発生。最終的に1号車もマシントラブルでリタイア。残るジャガーも燃費で苦しみペースアップができないままマツダの勝利となった。
追いつくためでなく、相手のトラブルを誘発するためのペースアップとか勝負師だよね。
後日メルセデスチームは「我々は振動でロータリーエンジンに負けた」とコメント。
そんなこと言われた日にゃ
男でもぬれるわ!(≧□≦)ノ♡♡
この年の10月に発売されたFD3Sのカタログはイクスのコメントがたっぷり掲載されてましたよ。
プロジェクトX見てからこれ見ると、余計に感動しますね。
技術、意欲、魂、日本一のメーカーです。
自分がこの世に生まれる前にこんな出来事があったなんて...
日本に生まれたことを誇りに思います。
この優勝はつい昨日のことのように鮮明に覚えています。あれから30年の間にマツダの浮沈があり、現在企業体力は回復したものの、REはラインナップになく、商用車や軽はOEMでしのぐなど、マニア目線では少々寂しいですね。ささやかな応援の意味を込めて先代デミオに乗ってます。
この動画を見てる間鳥肌が止まりませんでした、この時代に生まれてリアルタイムで観たかったなぁ、誇りに思います
マツダの工場見学行ったときに展示スペースに787Bの実車が置いてあった。
ヘッドライトが薄汚れてて謎の興奮を覚えた記憶がある...。
当時はファミリアやカペラが主力、RX-7だって比較的身近なスポーツカー、そんな庶民的なメーカーのマツダがメルセデスやジャガーといった超高級車ブランドに勝ったってのも胸熱だった。
後日、ジャガーが、マツダの快挙を祝福する新聞記事を載せていたのを覚えています。
スポーツマンシップに国境無し!。
@@高橋正哉-t6t
それに対してトヨタファン界隈は、フェラーリの不正だろうー、欧米の日本叩きだーばかりのコメントで恥ずかしいですわ。
まぁトヨタ界隈の人たちにジャガーのような紳士な人格などあるはずもなく…
申し訳ないがこんなファン達がいるメーカーなんて応援したくないし、こんな人間にはなりたくないものですね😅
懐かしいところを観させていただきました。僕は31年前に新婚旅行でルマンに行きました。(RX-7は買えないけどせめてルマンに行こう!!って)
ロータリーエンジンはルマンを走る車の中でも、一番大きくて一番いい音がする真にサウンドです。
徐々に順位を上げていってゴールまでラスト2時間くらいはMAZDAピットの上から見ていました。
ピットの上からMAZDAクルーにシャンパンを振りかけたのは僕たちです。
これリアルタイムで見てたんだよな〜。今見ても感動します。
感動しましたねえ・・・。未だに泣けるなあ。
いつ聞いても787Bのエンジンサウンド最高
ヘリさんここにもwww
やっぱ787B最高ですね〜
@@badhead8875 見つかった!w
並居る強豪相手に堂々たる初優勝、ロータリー最後の年に。その後のマツダに待ち受ける苦難と再興。すべてがドラマチック。そして今、内燃機関に斜陽が…いつの時代もがんばれマツダ!
これこそ、映画でもドラマでも出来るのにね〜。
日本初優勝でロータリーエンジン、しかも強豪ひしめく中での総合優勝は感動でしかない。
当時、シルクカットジャガー、ザウバーメルセデス、トヨタ、日産、ポルシェ、などを抑えての優勝だもんね〜。
MAZDA 787B ル・マン優勝から、はや33年経ちましたかー!
あの時のテレビ録画映像は今でも我が家に有ります。優勝の瞬間大泣きした思い出と共に・・・
再生機は調子悪いけど、再び観る為に修理しようかと思ってます。
チャージ(今は無きレナウンの)MAZDAのカラーリングも綺麗で素敵でした。
後世に残すべき、偉業中の偉業でしたね!
観たい‼️😂❤
この時代に生まれた訳ではないけど、目頭が熱くなるね。
マツダロータリーの凄さを世界に広めた瞬間
この時FCに乗ってた事が誇らしく思った。
是非は動く国宝にして欲しい。
異議なしです。
コレはリアルタイムで観てました📺👀✨
現役を後継車に譲って退いてもう何十年と経つのに、そのけたたましくも気品ある"絶叫"で未だに世界中で愛される名車だよ、787B
今見ても感動して泣ける
某テレビ番組での内容だけど、途中2位走行中の時、2位で大満足というチーム内の雰囲気の中、ただ一人監督だけはペースを上げて、その当時首位だったメルセデスへプレッシャーをかける作戦に出たんだよね。このマシンのお陰で私は緑色とオレンジ色が好きになりましたw
NHKプロジェクトX マツダ、ルマン制覇の漫画版でもそのようなシーンがありまして、それで初めて知りました。(メルセデスへのプレッシャー)
監督じゃなくてアドバイザーのジャッキー・イクスの指示だったはず。
すばらしいのは、このマシンが今も動く状態で保管されていて、ときどきイベントで走ってくれること。
マツダの信念のようなものを感じます。
やはり、走ってこその車。形だけが残っていても意味はないのでしょうね。
チャージマツダとマツダスピードが編隊組んで走ってる所カッコいい
91年当時、小6だったオレは、朝起きてド派手なマツダのスポーツカーがレースで優勝した事をテレビでやっていたのを今でも覚えている。その頃家のファミリーカーは、HBコスモの四枚ドアで、ライトがパカパカするのが子供ながらに好きでした。そう、その車もマツダだったのです!オレんちの車もマツダだよね!優勝したのもマツダだよね!
って、親父にしつこく聞きました。自分んちの車のメーカーがレースで優勝した事に、小6のオレは、『マツダってすげーんだな』って思った事をこの動画を見て思い出しました。
1991年のルマンはマツダが勝った。
もう歴史から消えない事実。
実は放送の最後に大橋監督が表彰式後にACOの人たちと抱擁している映像が流れてたんですよ。大橋監督はルマンに溶け込み、受け入れられるまで頑張っていたんだなと。もう大橋さんがいない以上、寺さんにやってもらうしかないな。
早く復帰しないと、忘れられる。
自分の車遍歴
社会人になって初めてローンで買った車、マツダオートザムAZ-3の5速MT。次に買った車、マツダデミオ二代目前期型の5速MT。そして現在乗っている車、マツダRX-8前期型タイプS。タイプSはもうちょいで走行距離30万キロ届きそう。まだまだ乗るよ!
この時なんて生まれてすらいなかったけど、後から聞いても凄さが伝わってくる
今日見ました。感動😭しました✨✨途中の、万歳三唱で涙が溢れました。
あれから30年。お疲れ様でした。787Bよ永遠なれ‼️
マツダを好きで良かった🍀
リアルタイムで観ていたけれど本当に嬉しかった。
割りと本気でこの車国宝でいいと思うんだけど
この中継をテレビで見ていました。ゴールの数時間前からトップでしたね。チェッカーフラッグが振られたときは嬉しくて泣いたのを覚えています。この年でロータリーエンジンが禁止になったんですよね。
ロータリーエンジンとしてエントリー可能な最後の年にマツダはロータリーで勝負できる最後の年だとして総力戦を挑んだ ゴールシーンも良かったけれど午後1時のベンツがマツダのタイムアップ作戦に引っかかってリタイアして3時間の梯団走行文字通りの圧勝だった
これは覚えてるな〜。
自然と涙が出たな〜。
確か、この年を最後に、ロータリーエンジンの追放がレギュレーション改定で決まってて、
この年が最後のチャンスだったんだよな。
優勝記念の実車の凱旋展示を見に、横浜高島屋まで行ったわ。
凄い混雑だった。
実は「ジョニー・ハーバード」
脱水症状で医務室へ直行で
表彰台に立てなかった‼️
しかし、2011年優勝して20年の記念に
マツダ787Bでパレードラップ
ハーバードもおじさんになり
少々丸くなってましたが
「ようやくく表彰台に立ててうれしいよ」‼️
マツダも787Bをサーキットを走れるように
完璧なレストアしたと❗
その時、脱水症状のふりして笑いを誘ったジョニー
パレードラップの為にメカニックから操作を教えてもらう時に「マイカーだよ!」って断ったとか。
震災直後のル・マンでの787Bのパレードランに、どれだけの希望と元気を貰ったことか…。
さらには自身もレストアならぬ減量して当時実際に着ていたレーシングスーツであの場を迎えていた。
@@imprezastigdb555
ル・マン主催者も粋な計らいするよな。
ニュースになった時は丁度20周年の節目と東日本大震災の哀悼も兼ねてるかと思ってた。
当時、日本は空前のF-1ブームの真っ只中でしたが、このルマンだけは格別でした。
長年地道にロータリーでやってきたマツダが勝った、というのがまたよかった。
これ映画化しないの、、、???
映画館でロータリーサウンド爆音上映してほしい。
気持ち良すぎてイク
イクなイクなw
たしか
やっぱ
テレ朝で
ドキュメントみたいな
特番してた記憶が
最後の最後でペース上げてメルセデスのエンジンぶっ壊したシーンも派手に演出希望ww
マツダはモータースポーツに本格的に復帰して欲しいな
伝説の787Bだね
当時、19歳。涙腺が緩みウルウルしていたのを、覚えています。ガッツポーズを何回したか。
コメント書いてる人達の記憶力が凄い。っていうかそのくらい衝撃的だったのか。
詳しくない俺でもレナウンの経営破綻のニュース見た時に思い出したのがこの車。
後ろで絶叫しているのはラジオ「文化放送 こちらル・マン放送局」の扇一平アナですね。
ゲストが「不躾棒」の三本和彦さんや初代AS編集長の星島浩さん。
TVがない時間、ずっと耳をそばだてていました。
現地時間の夜中にグイグイと順位を上げて行くの、ホント興奮したなあ・・・
こちらの音源、ないかなあ・・・
現地朝・日本時間夕方の放送のド頭、787BがメルセデスC11をブチ抜くシーンも、他のレースでは絶対見れない絵で驚愕しました。
やっぱりね、最初に出て行ったマツダが勝ててよかったと当時は思いました。
それと同時にルマンで勝ってはいけないと思っていたものが(優勝には決して届かない)現実になってしまった。
テレ朝の放送を見ていて、心境は複雑でした。
91年のルマン優勝は、マツダロータリーにとって最高の神様からのご褒美でした。
@miles さん。
うまくは言えないですけど当時、国内レースでも表彰台に届かない状態でした。
それでもルマンだけは一日の長があり、結果を残してきました。
91年の優勝は、マツダはまだ優勝するだけのレベルに達してないのではないか。
そう感じてましたが、あれから30年近く経って優勝できてよかったと思ってます。
最初に出ていた=厳密にはサード(シグマ、73年)より前にヨーロッパのマツダディーラーのチームが参戦してましたけどね。(70年、シャシーはシェブロン)
maruhiroya417 さん
わたしはマツダの機関紙ポールポジションが家にありましたので、その件は存じております。
今年もルマンがありますが、マツダのいないルマンはつまらないです。
どんなことをしても完走する、どぶくさいマツダがまたみたいです。
日本が誇る栄光のマシン✨
例えミニカーでも圧倒的なオーラを放つ(´;ω;`)
昔、甥っ子にそのミニカー買ってやりました。当然分かるわけがないので何の車かは説明しませんでしたが。
ミニカーやプラモデルはすぐ完売するほど人気があります。
まぁ…僕は小学生の時なんの車か知らなかったけど…グランツーリスモ4でサウンド聞いてよく乗り回してた首都高コース6で…。かっこよかった…。
ゼッケン☀️#55番💚🧡
栄光の☺️ル・マン❗️🇯🇵
子供の頃の夢が今叶えまくられてるルマン、インディー日本人が勝つことを想像出来なかったこの年まで生きて良かった
感動した!あと、国さん若い!
この時の優勝は価値があった。リザルト見ればわかる。こんなにすごいライバルを打ち破っての優勝なんて、それ以後の日本車ルマン24制覇にはない。
特にトヨタ(笑)とかいうメーカーは恥でしかない
正真正銘のクソワークス
まあトヨタだからね
アウディとポルシェに勝って欲しかったよなぁ
負けまくって負けようがなくなったら勝ち始めた運なしトヨタ
TS020の右京さん、利男さん、ドリキンの時には戴冠してあげたかったですね。95年のNSXGT2クラス優勝もすごかったですが。
RENOWNと聞いてすぐ思い浮かぶのが787B、まさか倒産してしまうとは…本当に残念だ
無知ですみません!倒産してしまったんですか?!?!?
@@発酵オジサン さん20024 年 レナウン ブランド復活らしいです。
今見ても感動で涙涙です
世界一のMAZDAのロータリー
また…復活して欲しい
これをずっと見たかった
あの4ローター自然吸気エンジンの独特な美しく甲高く悲鳴のようなサウンドを聴いて感動を覚えない奴なんていないだろう☝ どのレシプロエンジンとも違う素晴らしい響きだったよ😌
マツダのこと見直した
正直トヨタやホンダの後手に回ると思ってたけど、世界のMAZDAだったなんて20歳の自分は全く知りませんでした
広島のそして日本の誇りですね
俺は髙橋国光さん現役の勇姿も見てました!マン島の功績、その後の日本での四輪レースの創設からの活き地曳です。
彼を語らずして日本のモータースポーツは語る事はできません
。
ライバルがいると勝てないトヨタ
今年も格言通りでした。
日本勢で真の国際レースを制したのはマツダのルマン、ホンダのF1、佐藤琢磨のインディ500だけ。
2020になっても唯一ル・マンでライバルと競って買った栄光の優勝。後にも先のも日本のメーカーがル・マンで勝てたのはこの時だけ
マツダには良い技術屋が居ますね❣️広島の一企業がこれだけのポテンシャルを見せてくれたのは嬉しい‼️
マツダのロータリーが世界の頂点に立った瞬間ですね。
ロータリーエンジンでの最後の参加年に総合優勝した回でしたね。
ゴール目指してトップを疾走する787Bの勇姿は何度見ても感激です。
情報が少なかったこの時代、日本のモータースポーツ関係者でもマツダの優勝なんて考えてなかった。でもF1ドライバーのハーバートとガショー、アドバイザーにジャッキーイクスなんて本気で優勝を狙うつもりでないと揃えられないメンツだ。
ジョニーハーバートほんとに表彰台におらんな。レース後に脱水症状でムリ😵ってなって運ばれたらしい。んで20年後の2011年に開催されたル・マンのオープニングセレモニーで1周走らせて、当時上がれなかった表彰台に笑顔で飛び乗るという20年越しの夢を叶えられました。東日本大震災のあった2011年に787Bをフランスに持ち込んで走らせるのは大変だったという話はウェブを参照
映画の 題材に なる レース(笑) 787の サウンドは 今でも 痺れる‼️トヨタ 日産でなく 原爆落とされた街の マツダが 優勝は 感動しました。
本当に偉大な功績
本当に素晴らしい出来事
しかし、唯一惜しむべきは
これが生まれる前の出来事だということ
過去に戻って見てみたいシーントップ3に入る
そ れ な
当時の俺ー12歳
やっぱりいつ見てもチャージマツダ787Bはスゴい!
当時テレ朝でやってたから毎年見てたなー😂 後にラジコンで知り合ったテレ朝の技術の人が行ってたって聞いた
泣ける
しかも国さん
泣ける
何回観ても泣ける
ウイニングランで55号車乗ってたジョニー・ハーバートは頑張りすぎて脱水症状で表彰台よりも先に医務室へランしちゃったから表彰台に立ったのは二人だけ。で、ル・マン24時間レースの記念すべき年に787Bでデモ走行したときに当時立てなかった表彰台に立ったあとは担架で搬送されるというネタを披露するサービスっぷり。しかも787Bのエンジンをオーバーホールしてデモ走行に間に合わせるのを決めたのは東日本大震災の数ヶ月前で、少しでも遅れたら55号車はこの世に無かったかも。
マツダスピードが築地から板橋の浮間舟渡に移転した頃、FCとランティスをそこによく持ち込んでいた。
ある日、見積もりかなんかで受け付けスペースで少し待たされていたときにふと背後を振り返ると
そこには787Bが無造作に置かれていた。埃を薄っすらと被っていた。少し悲しくなった。
興奮しながら近寄ってあちこち良く見たのに、興奮し過ぎたせいかそれが55号車だったかの記憶がない。
市販車は燃費悪い代名詞みたいなロータリーだけどこの時はどの車よりも燃費が良く給油回数が減らせた事も優勝に貢献した一因でした
ロータリーは理論上レシプロより低燃費なエンジンなのですが極限状態のシチュエーションでは図らずもそれを証明しました。
日本でも81年の鈴鹿1000kmで似た状況になりあわや大金星になりかけました。(結果は2位、優勝したポルシェ935の方が燃費が悪かった)
この時、ジョニーハーバートは脱水症状で本当にやばい状態だったんですよね。
それで、表彰式には参加できずにル・マンを終えてしまった...
でも、2011年に再びジョニーハーバートが787Bをドライブしたっていうのがとても感動的。
F3000で怪我してなければ・・・、アレがその後のキャリアに影響していたかもしれないですね。
787Bも素晴らしいクルマでしたが、ジョニーがホントに頑張って走り抜いてくれました😊
彼のこの時のレーシングドライバーとしての立場はやるしかない状況だったのでしょう😊
そしてロータリーラストイヤーとなったマツダにとっても同じでしょう😊
全てのタイミングがうまく噛み合った感動の優勝でしたね😊
当方その頃三菱自動車の営業マンでした。ドイツ車イギリス車イタリア車が世界を席巻してたのに787b、最高です。当時所詮マツダなんて思ってたらマツダさんに頭が上がらないくらいの快挙。同じ日本人として泣きそうになりましたマツダ最高
2020年5月17日今日改めて見て、前面のスポンサーロゴが「レナウン」となっていることに改めて感慨深い思いです。
1990年まではチャージのロゴでしたもんね。レナウンのロゴで出走した唯一の年に総合優勝とはレナウン倒産の話を聞くと奇跡的ですね。
Mazda 787b The Legend Of Mazda and best of best in lemans History 💪💪💙🤍💜I'm really loved 787b and MazdaSpeed
今観ても当時の感動が甦ってきて、涙と鼻水でグシャグシャになってしまった😭
ありがとう🙏
もう30年近くも前なのか…年が経つのは早いね😂あの頃より確かに文明は進んだけど、豊かさや充実さでは負けてるかも知れぬ。